
高校内居場所カフェは愚痴の溢れる場所です。
すでに皆様も実感済みだと思いますが、愚痴はセルフケアとしてとても有能です。愚痴ってすっきりしますよね。
”愚痴を吐きだす”のような日々の小さなケアがあるからこそ、負荷のかかる目の前の現実に折り合いをつけつつ取り組んでいくことができます。
しかし愚痴を聞いてもらうことは簡単なことではありません。
もちろんですが愚痴を聞いてくれる人が必要です。家に帰って「ちょっと聞いてー」でちょっと聞いてくれる大人がいる家庭ばかりではありません。人とのコミュニケーションが不得手だと、愚痴を聞いてくれる友人も簡単には作れません。
しかし居場所カフェにはちょっと聞いてくれる大人がいます。それにもしかしたらカフェで知り合った先輩やちょっと一息つきに来た(と見える)先生が愚痴を聞いてくれるかもしれません。
先日のカフェでは常連の3年生が新顔1年生の愚痴を「へー」「そーやんねー」なんていいながら聞いていました。1年生のときは愚痴を吐き続けていた彼女も今では聞き役です。愚痴の聞き役という小さなケア役割の連鎖が校内居場所カフェの居場所感を作っています。